【1】縄文時代の翡翠文化
@原産地
縄文時代の華やかな遺物の一つに、翡翠製の装身具が数多く発見されている。
丸玉、小玉、勾玉がその典型である。
縄文人は翡翠の強鞭な「堅さ」、色合いや形の「美しさ」入手困難な「珍しさ」
さらには莫大な労力を要する加工の「難しさ」をさして、そこに最高級の価値を認めた。
翡翠の原産地は、新潟県糸魚川の姫川、青海町を流れる青海川
それらの渓谷,いわゆる翡翠渓谷が主とされている。
それら下流部を中心とした海岸部には、玉生産遺跡も数多く発掘されている。
【代表遺跡】
長者ヶ原遺跡(国、史跡、新潟県糸魚川市) 寺地遺跡(国、史跡、新潟県青海町)
境A遺跡(富山県朝日町) 細池遺跡(新潟県糸魚川市)
これらの遺跡は、姫川河口を中心としたほぼ半径30キロ以内の範囲に限定されている。
A用途
玉の用途については、装身具として用いられたことに疑いはない。
ただし、発掘された量などから考えても、単に身を飾る道具としてだけではない。
集落あるいは集団における所有者の立場などを誇示する
威信財としての意味合いもあったことが推測できる。
糸魚川周辺から作られた翡翠製品は日本全国に広がっているが、それは通常の
物々交換ではなく、権威の象徴を表すより高度な交換システムによるものであると
いえるだろう。
【2】弥生時代から古墳時代にみる翡翠文化
翡翠製品は、弥生〜古墳時代を通しても、変わることなく時の権力者たちに
求められ続けた弥生時代以降は、主に勾玉が主流となる。
とりわけ大型の勾玉は、この当時呪術的行為に用いられていた可能性が高い。
さらに、この時代には、いろいろな形の勾玉が作られている。
しかし、古墳時代以降、翡翠製品が新たに作られたという形跡は全く確認されていない。
これ以降、20世紀になって翡翠が再発見されるまで、わが国の翡翠は人々の記憶から
完全に消し去られ、今でも、何故突然その生産が途絶えてしまったのかは、謎のままである。